2014年5月8日木曜日

アウシュビッツ平和博物館

旅というのは何が起こるかわからないものです。
 
 
 
先日、呼んで頂いた先でのお話。
 
 
高崎のとあるお店にて、クローズとのライブ。
 
 
その日は呼んでくれた友人宅にて泊めてもらい。
 
 
翌日、東京にすぐ帰るつもりだったけれど、翌日も空いているので
 
 
思い切ってあてはないけれど、もっと北の方に行ってやろうか、と。
 
 
ノープランで電車で北上。
 
 
途中、何か誰もいかないような、場所に行ってみたいなあ。と。
 
電車の中でネットをふらふら見ていると
 
 
NPO法人アウシュビッツ平和博物館 なるものが。
 
最寄り駅、白坂駅。
 
 
白坂駅まで後、3駅。
 
 
時刻は夕方16:00頃か。
 
 
早速、電話。「まだ、やってます?」
 
「やってますよ」
 
 

 
 

 



 
 

 

ということで行ってきました。
 

入り口で、大工っぽい姿のお爺さんが、饅頭を。

 
なんで福島に?
 
 
何か繋がるがあるのか?
 
 
興味津々で、迷わずに行きました。
 
 
 
 
この博物館は、ユネスとの世界遺産、アウシュヴィッツ収容所跡を保存するポーランド国立オシフィエンチム博物館の協力のもと、「人間が人間に対して行った殺戮行為の極限」といえる「アウシュビッツ」の事実を語り継ぐために創設されたのだとのことです。
 
 
お客さんは、僕だけ。
 

貸し切り状態。
 
 
多くは語りませんが、上映ビデオを含めて
 
 
とても強烈な体験でした。
 
 
思っていた以上に。
 
 
というよりも、その想像を遥かに超えて。
 
 

 

囚人服
 

 


子供達を選別するための1m20cmの鉄棒。
 
 
その下を通り抜けた子供は、全員が「ガス室〜焼却炉」に直行。


それを知った子供達は、懸命に首を伸ばしていたと。生き残れるグループに入れる様に。
 
身長が1m20cmを超えていたとしても、そこの待っているものは大人同様の強制労働。
 
 
飢えと劣悪な環境を経ての死。
 
子供の選別方法は他に「年齢を聞く」
 
14歳以下の年齢を答えた子供は
 
そのまま「ガス室」に送られる。
 
 
上手く言えません。
 
でも、本当に強烈に印象に残る勉強になったことは事実。
 
 
しかし、ここからの展開が凄かった。
 
 
よくよく考えるとノープラン。泊まる場所も確保していないので、もうちょっと
 
北上して、安いビジネスホテルかなんか見つけねば。とか思っていると。
 
 
大工っぽいおじいちゃんが
 
 
「泊まる場所決まってるの?」
 
「いや、まだです。今から探すとこです」
 
 
「泊まってく?」
 
 

「え?」
 
 
 

 
 
ここに泊めて頂きました。笑
 
 
ここはどこだ。というと。
 

 
平和博物館のすぐ隣にある、今年できたばかりという。
 
 
原発災害情報センター。
 
の屋根裏スペース。
 
 
このおじいちゃんは、何をかくそう、NPO法人アウシュヴィッツ博物館の
 
代表理事で古民家を再生させる大工さんだった。

 
一回死にかけて。
 
死の淵から戻って

 
 
大工の弟子入り。
 
 
そして、古民家を再生させる有名な大工になった。
 
 
40過ぎてからの大工弟子入り。
 
 
その晩は、そんな強烈なおじいちゃんが 
 
 
やたら、どんどん持ってきてくれる山菜の天ぷら
 
 
を食べながら
 
 
博物館の館長の、小渕真理さんという方と
 
 
3人で初対面にも関わらず、3時間ぐらい
 
色んな話をしては
 
 
聞きました。
 
 
そのうち、
 
お隣から、原発災害情報センターのセンター長で
 
 
福島の近隣で取れる野菜や、地域の放射線量を計測されておられる
 

長峰さんという方も加わり。
 
あっという間に夜が更けました。
 
 
展開的に、アメリカ一人旅とかしてると
 
 
あり得る話かもですが
 
 
日本の一人旅で、こういう展開になったのは初めて。
 
 
ちゃっかり、Facebookの類いでもつながり
 
 
おじいちゃんに、めっちゃ、将来の館長へのリクルートも受けながら 笑
 
 
とても温かい時間を過ごしました。
 
 
と同時に、2011年の3月から
 
 
あの場所から80キロ離れた、ここ白坂に
 
 
東京から出てきた、館長さんたちの
 
 
言葉に出てこない、様々な、感情。
 
 
滲み出ては訴えかけてくる、問題意識、複雑な気持ち、、、、
 
 

 
翌日の朝。
 
 
おじいちゃんが畑仕事、手伝ってくれへん?っていうので。
 
 
喜んで。ってことで。
 
 
耕耘機。2時間ぐらいか。ぶっ放しました。
 
 
お昼ご飯を食べて。
 
 
約束を交わして。
 
 
さよならをしました。
 
 
確固たるvisionを持って
 
 
生きる人は
 
 
旅人に優しい。
 
 
全く知らなかった赤の他人であったことが嘘みたいに。
 
 
たった1日、この場所で過ごした時間は
 
僕の中で
 

 
思っていた以上に大きな財産になりました。