2011年1月25日火曜日

1番したいことやらんと、いつかまたしたくなるよ


嬉しい
瞬間って

やっぱり

心の底にある何かが 共感を覚えたとき

そして、思いっきり感動すると、人ってそれをできるだけ多くの人にshareしたいって思う。
実のところ、僕はそれがしたい。それ以外のことは、もうあんまりしたくないなって思う。


なーんて、こというのはまだ早すぎるか 笑 もだけど。
何があったのかと言いますと
僕が非常勤講師を務めている高校に
こじまいづみさん(花*花)がワークショップに来て下さった。
もう言葉では形容しがたく、素敵な時間でした。
去年、北山のSole Cafeでのソロライブに行かせて頂いて。
ものすごく、感動した。あんまりない類いの感動だった。心の奥の方が、すごくよろこんでる感じ。歌声、お人柄の奥に、言葉では形容しがたい大きなものを感じた。歌声、ピアノ、放たれる歌そのもの、そしてその奥からにじみ出ているオーラに引きつけられて、すごくファンになった。
僕は去年から、勤務校の一つの学校の軽音楽系のクラブでクラブコーチをさせて頂いているけど、生徒達にぜひとも、会って欲しいって思った。衝動やった。人間、衝動が起きると後先考えずに行動しますね。
何の面識もないのに連絡をした 笑 一見するとネットナンパですよね。疑うよ。 ちょっと逆の立場だったら 笑


いづみさんは、何の面識もないのに
快く快諾してくださり。(あ、共通の友達のmusicianがいたことも後で発覚しましたが。)
そして今回のワークショップが行われたのです。
その詳細や感じたことを全て書くとキリがないので、できないけど。
生徒にとっては宝物のような時間になったのではないかと思う。
もちろん僕にとっても。
終止、雰囲気は和やかで。
生徒は食い入るようにいづみさんの話に聞き入って。(僕も聞き入った 笑 とても勉強になりました)


そして歌い。
質問の時間も持ってくださり。教室に座り込んで。
まるで、先輩が後輩の悩みを聞くように。本当にそうであるかのように。なんなら自分の妹にかたりかけるかのように。自然に。色んな話をしてくださり。
最後には歌のプレゼントもくださった。「道」という曲。
いづみさんは musicianでいらっしゃるけど

いい先生。教え方も。何もかもが。僕なんかよりはるかにいい先生。
と、思った。というか実際にそう。でした。
カウンセラーに必要な資質が
テクニックや専門的知識以上に
その人の「品性」「人間的信頼性」であるように
教師であるかいなか、とか「〜」であるかどうか
なんていうのは、社会的な表面的資格や要素を備えているかどうかじゃない
いづみさんは
本当に素敵な方だった。


あんまり言うと、なんかくどくなるから もうこのあたりにしまーす 笑
要はね。すっごく幸せな1日だったということです。
感謝しか残らない

2011年1月23日日曜日

バタバタ


してました。
神戸、元町高架下、通称モトコーで
ごっついええCafeを見つたんです   Planet EarthっていうCafe
http://プラネットearth.jp/planet.html
店内の雰囲気すごくいい。スペースもゆったり。落ち着きます。何時間でもいたい。

また来たい。

アート作品がすごく置いてあって。







これすごいでしょ。牛ですよ。生でみるとかなりインパクトあり。
こんな作品がいきなり、入り口にあります  
翌日は午前中、学校での仕事の後、JAYEさんたちと
愛知県、豊田市へ行っていました。ゴスペルをドカーンと歌って。
聖書の言葉から学びをして。
なかなか言葉では言えない充実感。自分が感動して元気になることは絶対に必要だし、すごく楽しいけど
疲れている人がどんどん元気になっていくのを
見ることができる感動
は、それ以上に嬉しい。別物だと思う。
みんなで晩ご飯を食べて。11時半に豊田出発。
深夜14時半に到着。強烈に眠いぜ。
思う存分爆睡します。

2011年1月19日水曜日

Nathan Best



すごいものを発見してしまった。こんな映像誰かが、you tubeupしてくれたんですね。
元気にしているんだろうかって思ってふとなんのことなしに、検索にかけてみたら
出てきた。
すごい。
今から9年前に
僕が参加したワークショップで講師だったゴスペルカルテットグループ、Fairfield Four
Nathanが歌っている。Fairfield Fourは、98年にゴスペル部門でグラミーを受賞した
カルテットで。
この人の歌声を聞いて衝撃を受けたんです。
変わっていないあの声。そして切なくエモーショナルでJazzyなピアノ。
melodyなんて歌わなくて
たった1音の歌声に、心を引き込まれたあの体験がなければ
多分、音楽を続けてこなかったと思います。
しかも歌っていた曲は
I need you to survive
NY9.11の後にHezekiah Walkerという牧師でありミュージシャンが書いた曲。
この曲聞いたことなかったけど。タワレコで、曲のタイトルを見て。
それでアルバムを衝動買いした。素晴らしい曲だった。それで、ゴスペル教室でも歌った。おんなじ曲を2ヶ月もやった(笑)
Nathan が歌うI need you to survive
すっごい優しく響く。いつか、今の自分の歌をNathanに聞いて欲しいなって思う。
思ふ。
さー、仕事しよう。

2011年1月18日火曜日

玉造の源さん


今日行ってきた。
玉造の源さん。
中華そば屋さん。うまいです。ここ有名みたい。後から気づいたのですが。
ここの大将とふとしたところから、震災の話題になった。
大将は震災当時、毎週末に南港から船に乗って神戸へ向かい、支援に回っていたんだって。
道路はボコボコ。公園では炊き出し。でもトイレがないから大変で。
長田区は、まるで戦争で空襲の後みたいに
なーんにもなかったと。かいろいろ。
リアルに語ってくれた。
涙が出そうになるわ。あんときのこと、思い出すと、、、って。
大将はごついけど、すっごく優しいんだなって。ご自分からほんとに色々と語ってくださって
震災の直接的な被害地ではないここ大阪市内で
こんなにも心を痛めて、動いてくれたいた人がいるのかと思うと
すごく温かい気持ちになりました。
うまいんです。ここ。行ったことがなかったら是非是非ちぇけらーです。
あ、そうそう。
あんまり音楽のこと書いてないですね。まだ 笑
2月以降のライブや、CDリリースやら何やらかんやら。
書いていきますね。
まー、ぼちぼちと。
さー、仕事しよう!仕事!

2011年1月17日月曜日

16 years has passed since .....


1995 1.17 5.46
あの時、僕は起きていた。5時半ごろに一度、目が覚めて、もう一度寝ようとしてたときに、天井に吊るされた、蛍光灯が激しく揺れ始めた。淡路島。洲本市。震度7
当時、中2で、その晩は僕は普段は大学へ行って空いた姉の部屋のベッドで寝てました。
いつも、寝てた部屋は大きな木のタンスやら家具が山積みで、あの後、余震がかなり続いたけど、その部屋は完全に泥棒が入ったみたいに、倒れてました。
いっつも、布団しいてた部分は、タンスが完全にふさいでた・・もし、あの時いつものようにここで寝てたら・・・・
一度、夜行バスの中で大地震に会う夢を見て、恥ずかしながら大声で起きてしまった。
目覚めてバスの中って気づいた時、夢の中で見てた揺れが、あの時の揺れと完全に同じになって、高速を走るバスの揺れが、重なってめちゃくちゃ怖かった。のを思い出します。この日になると。
12...記憶の風化が懸念されてるという趣旨のニュース番組を見ました。来年からは小学校1年生から、ついに震災を知らない世代になるみたいで。 12...
思った以上に時間がたったんやなって。
普通に自分が今、まだ、生きていられることの重みを感じる。失われてしまった沢山の尊い命を、まだ、続いていたうはずの人生、今年自分と同じく27歳を迎えるはずだった人生とか..もちろんそんなもの何かに還元できないけど、その分を、精一杯、生きないと、申し訳ないって誰かがゆってた意味が・・・
痛いほどわかる
という、表現はこういうときに使うんやなって思う。
とてつもなく、自分が今生きていられることが、不思議に思える。あの日を思い出すと。誰かがそんなん偶然やんって笑い飛ばす気持ちもわかるけど、いざ当事者になると、すごく、生かされてるって感じるんです。無性に。
本当にそうやなって。
神さまありがとう・・・と素直に。
のような日記を、数年前に書いていたようです。前の古いblogで。
再び今日もこの日を迎えた。
ニュースでは、震災を知らない神戸市民人口は30%を超えたと言っていた。
今日も多くの人があの日を思い返しているのでしょう。
4年前、感じていた時よりも、ずっと今の方があのとき書いた気持ちも大きくなってる。
「一生懸命生きないと。」
痛いほどわかる、、
なんて簡単に言ってしまっていたけど
そんな風に軽く言ってしまっていたあの時は
実はそこまで重さを分かっていなかったのかもしれない。
まだ生きている。
生かされている。
生きなきゃいけない。
前に進まなきゃいけない。
この「命」を「使」わないと。
「使命」を果たさないと。
別に義務感に駆られて
焦っても仕方ない。けど。
そういう気持ちを。忘れずに。
あの日、「生かされた」ことを覚えて。
生きていく。