2011年1月17日月曜日

16 years has passed since .....


1995 1.17 5.46
あの時、僕は起きていた。5時半ごろに一度、目が覚めて、もう一度寝ようとしてたときに、天井に吊るされた、蛍光灯が激しく揺れ始めた。淡路島。洲本市。震度7
当時、中2で、その晩は僕は普段は大学へ行って空いた姉の部屋のベッドで寝てました。
いつも、寝てた部屋は大きな木のタンスやら家具が山積みで、あの後、余震がかなり続いたけど、その部屋は完全に泥棒が入ったみたいに、倒れてました。
いっつも、布団しいてた部分は、タンスが完全にふさいでた・・もし、あの時いつものようにここで寝てたら・・・・
一度、夜行バスの中で大地震に会う夢を見て、恥ずかしながら大声で起きてしまった。
目覚めてバスの中って気づいた時、夢の中で見てた揺れが、あの時の揺れと完全に同じになって、高速を走るバスの揺れが、重なってめちゃくちゃ怖かった。のを思い出します。この日になると。
12...記憶の風化が懸念されてるという趣旨のニュース番組を見ました。来年からは小学校1年生から、ついに震災を知らない世代になるみたいで。 12...
思った以上に時間がたったんやなって。
普通に自分が今、まだ、生きていられることの重みを感じる。失われてしまった沢山の尊い命を、まだ、続いていたうはずの人生、今年自分と同じく27歳を迎えるはずだった人生とか..もちろんそんなもの何かに還元できないけど、その分を、精一杯、生きないと、申し訳ないって誰かがゆってた意味が・・・
痛いほどわかる
という、表現はこういうときに使うんやなって思う。
とてつもなく、自分が今生きていられることが、不思議に思える。あの日を思い出すと。誰かがそんなん偶然やんって笑い飛ばす気持ちもわかるけど、いざ当事者になると、すごく、生かされてるって感じるんです。無性に。
本当にそうやなって。
神さまありがとう・・・と素直に。
のような日記を、数年前に書いていたようです。前の古いblogで。
再び今日もこの日を迎えた。
ニュースでは、震災を知らない神戸市民人口は30%を超えたと言っていた。
今日も多くの人があの日を思い返しているのでしょう。
4年前、感じていた時よりも、ずっと今の方があのとき書いた気持ちも大きくなってる。
「一生懸命生きないと。」
痛いほどわかる、、
なんて簡単に言ってしまっていたけど
そんな風に軽く言ってしまっていたあの時は
実はそこまで重さを分かっていなかったのかもしれない。
まだ生きている。
生かされている。
生きなきゃいけない。
前に進まなきゃいけない。
この「命」を「使」わないと。
「使命」を果たさないと。
別に義務感に駆られて
焦っても仕方ない。けど。
そういう気持ちを。忘れずに。
あの日、「生かされた」ことを覚えて。
生きていく。