2012年8月15日水曜日

気がつけば夏も

真っ盛りで、もう少ししたら終わるのか。という。

何から振り返ろうかというぐらい、ここ一ヶ月怒濤のように過ぎてしまったよう。

なにゴスが、今年は大阪女学院ヘールチャペルでありました。

多くの方にご来場頂きまして、遅ればせながらありがとうございました。


今年は多くの団体の方に出場、あ、じゃなかった出演して頂き、僕は一部は舞台監督を。

こういう風に仕えるっていうことはありそうで、あまりない機会なので、そういう意味でも貴重な時間でした。

コンサートはもっちろん最高。

来年はもっと、すごいことになるはず。

あ、ちなみにこの「なにわゴスペルfestival 」というのは、NPO法人ジェイズマスクワイアが主催するコンサート。もう今年で14年目になります。


僕がこのなにゴスに関わらせてもらうようになったのが、今から大体、4年ぐらい前。

丁度一度、教員の仕事を辞めて、資格を取るために学校に行きつつ、ゴスペルスクールの講師をしていた時でした。

JAYEさんと出会ったのもこの頃だったなあ。 この出会いは今でも、大きな人生のターニングポイントだったと、思います。JMCとの出会いも。


そう。今回は、一部と二部の間に、控え室で寝屋川のケロちゃんず。の方の何人かと割と長くお話できたのも嬉しかった。
ケロちゃんず、てのは寝屋川の社会福祉法人みつわ会という、精神障がい者の方の施設の通われている方が、毎月1回、JMCメンバーと一緒にゴスペルを歌う会のグループです。

僕は普段、仕事で行けない時がほとんどなのだけれど、こういう機会に、沢山一緒に時間を過ごせたのはとても嬉しかった。

誰といても、こころは素っ裸でいたいと思うけれど、実際は難しいときもあるのが、現実の社会。

でも、不思議。けろチャンズの皆さんは、ずっと心が素っ裸だし、こっちが心が素っ裸ってのも敏感に感じ取ってくれるから、ほとんど初めての人でもすぐに打ち解け合える。

そんなきっかけを創ってくれるのもこれまた、「ゴスペル」の力であり。やっぱり、裸の心でいられるのがいいなあ。


思い出すだけで、本当ににやってしてしまう、最高のなにゴスでした。


そう言えば僕がこのゴスペルに初めて触れたのは確か、2001年の春か。

とするとそれから11年の歳月が流れた。というわけで。そりゃあ年をとるわけです。

それからいつだって、僕の中心にあったのはゴスペルだったと思う。何をやってるにせよ。これからも、素敵なことに沢山出会えるはず。

さて。

この時期になるともう1つ個人的に仕事であるのが、we are sneaker ages 2012 という大会。軽音楽部のコーチをしているクラブが毎年、この大会に出ます。

今年もついこないだ、終了。180校ぐらいの学校のうち、約上位20校が、冬に舞州アリーナで行われるグランプリ大会に出場。

するのですが、予選は約10日間かけて、京橋IMPホールにて行われます。

もう、この準備の時間がそりゃあ毎年涙あり、のドラマがあるわけで。

コンテストという以上、こちらは審査されるわけなので、周到な準備を重ねて望みます。

で、それを僕は微力ながら関わらせて頂いています。

毎年、色んな新しい発見があり。


メンバーである生徒に教えるというよりも、教えられることが毎回あります。


今年は過去二年と比べて、色んな意味でとても大変な年だったけれど、他者との比較どうのこうのでなく、その子一人一人の中で、大きな成長は見られたので、やっぱりそれを見届けられたとうのが、とても幸せなことでした。

そして、プロセスこそ大事なのですが、ゆうても結果も伴って欲しい!とうのがメンバー、とコーチの本音。

おかげさまで、他にも優秀な学校がある中で、予選を通過することができました。

この優秀校の結果発表というのが、各予選日の最後にあるのですが、これが僕、ほんまに苦手なんです。いやです。

1年の中で一番、瞬間的にお腹が痛くなる瞬間です 笑

いや、でもこれは本気で。


自分が、失敗したり、上手くいったりとかは、これは自分一人の問題だけど、やはり数十人のあつーい気持ちが、歓喜の涙に変わるのか、また悔しさの悲鳴に変わるのか、という分かれ目の瞬間は、正直、かなり苦しい。 メンバーが悲しくて泣く、のだけがどうしても見たくないので。


これから数ヶ月がかかった、その大きな結果発表の瞬間は今年も、感謝なことに予選通過となり。

今年の準備は特にメンバーにとっては苦しい時間も多かったろうと。


たーくさん叱りました。

自分自身も魂を込めて接した分、すごくエネルギーをかつてないぐらいにエネルギーを消費していたんだなあと。


「教育には忍耐が要る」と言われてます。

 僕は非常勤講師で、河内長野の学校で、聖書のクラスを教えていますが、聖書を読んでいても特にそう思う。Jesusは最後は弟子にことごとく裏切られる。

 弟子と接する際に、何度同じことを言っても、まだ、分かっていないのかーと、思ったことがどれだけ多かったことかと。

 厳しく接するのは、本当にエネルギーを要する。

 人を叱るのは、本当にエネルギーを使う。エネルギーを使って、接してもすぐには、その人の改善は目に見えて現れないかもしれない。

 いや、改善どころか、誰よりも懸命にその人のことを思い、言葉をかけたとしても、逆に、怒りや反感さえ持たれるかもしれない。

 それでも、その人の内側にあるまだ目に見えていない可能性を信じて

 忍耐を持って、愛情の動機を持って叱り続けることこそ

 僕は本当の優しさである

 と信じています。

 だから、これからもそれを誠意を込めて変えないぞと。

 何せ。本当に結果が出て良かったのです。

 しばらく経って、ようやっと余韻が出て来た感じというか。

 それに応えるハートを持ったほんとに素敵な子達が多くて。

 今年のメンバーも大好きです。

 

 ありがとう。