2011年2月15日火曜日

ありがとうを言うのは

こちらの方です。
 

一昨日の晩は
 
教えていた大学の学生さん達が
 
打ち上げに誘ってくれたので参加してきました。

なんばで。


みんな、19歳とか20歳。


自分は30歳。
 
でも、あんましギャップは感じなかったぜー!
 

強がってないぜー!笑


いやー、楽しかった。
 
まず、誘ってくれるっていうそういう気持ちが嬉しいですよ。
 

理科系の学生さん達でしたが
 
みんな本当にいい学生ばっかりでした。


終わりに近づいたころに、何やら、学生さん達に動きが。
 
なんか、ケーキを持ってきてんちゃうか?
 
それは、なんと、感謝のサプライズの寄せ書きと、ケーキなのでした。


何やねんー!!(泣)
 
ここまで、鮮やかなサプライズを食らうとは思っていなかったです。
 
というか、本当にサプライズで、言葉失った。
 
僕、別に非常勤講師だから大学の教授でもないし、ゼミ持ってるわけじゃないのです。

 
しかも、理系の学生さんにとっては、専門科目でもない、外国語の英語でしょ。
 
そんな。自分の時を振り返ってもそんなに1年生の時の英語のクラスなんてほぼほぼ記憶なんてないし。笑
 
必修の外国語の授業でしょ。出なあかんやつやから。 
 
でも、自分が教える立場になって。
 
彼らと自分が出会うことで
 
彼らにとって、何も人生のプラスになることがなかったのであれば、
 
何の意味もないと。
 
それだけは嫌だ。
 
って思ってやってきていたから。

感じてることがあります。

教える立場として
 
いくらエネルギーを払ったとしても
 

自分がいいやつだって思われたくて
 
学生さんに向き合っていたとすれば
 
それはほんとの愛じゃない。と言い切れると思います。
 
それは結局誰かを愛して犠牲を払っているように見えて、
 
自分を愛しているだけ。やなと。動機って大事です。ていうか、動機ですよね。
 
ぶっちゃけた話、
 
学生さん、や生徒。
 
10代、20代の子達は
 
よっぽど教える側には
 
本音なんか出さずに
 
教える側の心の内は
 
完全に見抜いてますよ。笑  
 
そして、見抜いた上できっと信頼できるかどうかを
 
ジャッヂして決して
 
本当に信頼している人間にしか、本音は漏らさない。のだと思います。
自分がそうでしたし。
 
だからこそ、誠実に
 
もちろん自分にでき得る範囲でだけれど
 
向き合わなあかんと思っています。


彼らの心に何かしら、たった一言でも
プラスになったと思えることを
自分がクラスの中で伝えたり、彼らから受け取っていたりという
ことがなかったとしたら
 
それが生まれないClassて
 
なんなんやと。
 
教師がいて、それが生まれない表面的なClassなら、
 
優秀な参考書借りて図書館で耳栓して
 
勉強してた方がよっぽど有意義やん? 
 
ま、実際にそやろしね 笑
 


後になって人生を振り返ったときに
あー、そういやKazはこんなこと言ってたやん。
 
やっぱりやってみようかな。とか


彼らの人生の財産になるものを残したい。
 
そう思うようになりました。
 
そんなことさえない限り
 
非常勤講師、という立場で
 
「先生」の存在というのは、
 
その後の人生で「思い出しさえ」しない存在なのが普通やと思うのです。
 
せっかく「出会ってる」のにそれだと寂しいですよね。
 


自分の大好きな美容師さんが言ってた言葉に
 

「お客さんが、人生の最後を迎えるときに
自分の大切な人を20人挙げてくださいって問われたとき
自分がその20人の中に入っている
そんな美容師を目指したい」
 
と言っていた。


この言葉はすごく衝撃的で。
かなり刺さった。すごいプロやなあ。と。
 


自分もそういう姿勢で望みたいって思ったわけです。

不器用に

でも自分の中にある、ちっぽけなリソースが

誰かのために最大限に活かされて

誰かが元気になってくれたり
 
英語がどうしても必要になった時に
 
やったろう!って思ってもらえたら


それがやってる意義というか。
 
幸せを構成する断片の一つなんやろうなあ。と思います。
 

人生は誰と出会うのか

ってすごく大きいとも思うんです。
 
ほんまにそれを最近痛感してます。


自分が「色んな意味で、この人たちのために何を提供できるか」っていう視点で、
 
いつも試行錯誤しながら、授業に向き合わなあかんなと。



大学は
 
高校と違って、ある程度時間に余裕もあるし、
 
もう「受験」っていう
 
縛りがない。


だから、
 
本当に有益であると思われる(自分がそのように確信している)ことを
あくまでも、
 
押し付けるわけではなく
 
「自分のスタンス」として、
 
「紹介」することができる。


ちなみに、コントロールは大嫌いで絶対にしたくないです。
 
よく英語教師で、自分のやり方を100%そうだと確信して
 
そのやり方だけを紹介して
 
それ以外のやり方や、メソッドなどなどを
 
知りもしない、最新のことを勉強しようともしないで、
 
否定して、ケナして、
 
「正解はこれ。後は良くない。これをやりなさい」と、間接的に
 
断定してしまっているような話をよく聞くのです。
 
責任重大ですよ。ピュアな子たちはそれを鵜呑みに信じてしまう。

何かオカシイ!と本質に気付いた子達は、「騙されたふりして」
 
勝手に、独学だったり、違うやり方で英語を勉強してます。
そういう先生は一生気づかないのだと思いますが。

話を戻すと、
 
僕が知る限りでは、そういう方々は往々にして
 
英語を本当の意味で使いこなせない方が多い。のはでないかもしれないです。
やっぱり、プライドが邪魔をするのかもしれないです。
←ちょっと、語調を和らげます 笑
 
もちろん、そういう先生方を責める資格なんてもちろん自分にはないです。
 
自分もまだまだですし。文字通り。
 
ただ一、純ジャパニーズとして
 
留学しなくても
 
英語「使ってる」よー!という背中を見せてあげて
 
こうすれば、いけるで!っていうモデルになってあげるのが
 
学校で英語を教える仕事してる人間の大事な役割やと思うんですよね。
 
おー。話がそれてしまった。笑




大学で教えるのは今年が2年目で。
この学生さん達は、週に2回も教えにいっていたわけだから。
やっぱり通算するとかなりの時間を過ごしたことになってた。


だからっていうわけでもないけど。
やっぱり、授業が最後にさしかかると少し寂しい気持ちになる。

 
自分から良くも悪くも、にじみ出ていたものの中に

何か伝わっているものがあったんやね。

飲み会のときに最後に話してる時に

みんなの顔を見て
 
なんて優しい、いい学生に出会えたんだろって。
 
こっちが泣きそうになのに、君たちは気づいていただろうか。

あ、実際、泣いてたか 笑 あかんわ、ほんまに。
 
涙腺は緩む一方なのか。それとも、感動が大きくなっていってるのか。


このやろう。
素晴らしい学生に出会えた自分のほうが
感謝を言わなきゃいけないやんか、もう。
その気持ちにおれの方がずっと元気をもらって、どうしてくれるのかっていう話よ
 
見てろよ 笑